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亡き王女のためのパヴァーヌ
この曲も、好きな曲のひとつだ。
とても感傷的で、繊細で、優美なこの曲は、タイトルも美しい。
この曲をつくったラヴェルは、このタイトルを韻を踏む遊び(亡き王女は、フランス語でinfante défunte)からつくったらしいけれど、タイトルのもつ少し哀しげで感傷的な響きは、曲の旋律とともに心に響く。
今は亡き幼くて愛らしい王女が、城の庭で、鳥と遊んだり、水辺で澄んだ水を手にすくったりする様子を想像する。
ラヴェルの編曲したオーケストラヴァージョンもあってそちらも好きだけれど、僕はピアノヴァージョンのほうが、より透明感があって、より繊細に思えるので好きだ。
聴くのもすきだけれど、できたら弾きたいなぁとか思って、つい楽譜を買ってしまった。
譜面だけ見ると、弾けそうかなと思うのだけれど、中学でピアノをやめてしまった僕には、なかなかハードルが高い。
とりあえず、1ページ目だけ弾けた。(とはいっても、いちおう譜面に書いてあるようには弾けたっていうだけで、この曲のもつ繊細さや透明感からひどく遠いものだけれど・・・)
僕の手元にある楽譜は、全5ページなのだけれど、なんか後半弾ける気がしない・・・・。
最近思うのは、ちゃんと習っておけばよかったな、っていうこと。
バイオリンとピアノを習っていたのだけれど、子供のころは、ただめんどくさくって、練習もろくにしなかったし、ただ惰性でレッスンに行っていた。
そのうち、二つ楽器を続けるのは、忙しくなり始めた中学で困難になって(今から思えば、言い訳なだけだったけど)、ピアノをやめてしまった。
さらに、高校にはいってバイオリンもやめてしまい、残ったのは、何をやっても中途半端な自分だけだった。
今頃になって、ふと楽器が弾きたくなって、時々さわっている。
あのころより、さわってる気がする。
もっと、ちゃんと練習してきていれば、まじめにレッスンもうけていれば、もっと上手く弾けてたんだろうか。
人差し指で、鍵盤をひとつたたいてみる。
その音の響きは、美しく、昔感じることのできなかった愛しさを、今、感じている。
とても感傷的で、繊細で、優美なこの曲は、タイトルも美しい。
この曲をつくったラヴェルは、このタイトルを韻を踏む遊び(亡き王女は、フランス語でinfante défunte)からつくったらしいけれど、タイトルのもつ少し哀しげで感傷的な響きは、曲の旋律とともに心に響く。
今は亡き幼くて愛らしい王女が、城の庭で、鳥と遊んだり、水辺で澄んだ水を手にすくったりする様子を想像する。
ラヴェルの編曲したオーケストラヴァージョンもあってそちらも好きだけれど、僕はピアノヴァージョンのほうが、より透明感があって、より繊細に思えるので好きだ。
聴くのもすきだけれど、できたら弾きたいなぁとか思って、つい楽譜を買ってしまった。
譜面だけ見ると、弾けそうかなと思うのだけれど、中学でピアノをやめてしまった僕には、なかなかハードルが高い。
とりあえず、1ページ目だけ弾けた。(とはいっても、いちおう譜面に書いてあるようには弾けたっていうだけで、この曲のもつ繊細さや透明感からひどく遠いものだけれど・・・)
僕の手元にある楽譜は、全5ページなのだけれど、なんか後半弾ける気がしない・・・・。
最近思うのは、ちゃんと習っておけばよかったな、っていうこと。
バイオリンとピアノを習っていたのだけれど、子供のころは、ただめんどくさくって、練習もろくにしなかったし、ただ惰性でレッスンに行っていた。
そのうち、二つ楽器を続けるのは、忙しくなり始めた中学で困難になって(今から思えば、言い訳なだけだったけど)、ピアノをやめてしまった。
さらに、高校にはいってバイオリンもやめてしまい、残ったのは、何をやっても中途半端な自分だけだった。
今頃になって、ふと楽器が弾きたくなって、時々さわっている。
あのころより、さわってる気がする。
もっと、ちゃんと練習してきていれば、まじめにレッスンもうけていれば、もっと上手く弾けてたんだろうか。
人差し指で、鍵盤をひとつたたいてみる。
その音の響きは、美しく、昔感じることのできなかった愛しさを、今、感じている。
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